福岡市立東光中学校教諭
松澤 善裕

[江戸のごみ事情]

 最近、一枚の浮世絵を入手しました。『江戸名所道外尽 霞ヶ関の眺望』と題された、1859年に作られたものです。霞ヶ関という現在では中央官庁街の道で、馬が暴れて背中に積んだ屎尿の肥桶がこわれ、通りすがりの侍や町娘たちが鼻をつまみ顔をそむけています。中学生に見せると「くせ一!」「汚い!」という声が返ってきます。そこで、「このお百姓はどんな気持ちだろう?」と聞きますと、「こまった!」「大変だ!」「大切な肥料が・・」という意見が上がりました。そして、浮世絵というと美人画や風景画しか知らなかった子どもたちは、こんな題材まで取り上げられていることに、びっくりしていました。

 最近では中学校の歴史教科書(東京書籍)にも、『百万都市江戸のごみ事情』として「上の絵は、江戸の町の風景です。馬の背中の荷物は何でしょうか。実は、江戸の人々のし尿を近郊の農村から買いにきているのです。江戸の人々の食料をまかなうために、近郊で農業が発達しましたが、農家にとっては、江戸の人々のし尿が重要な肥料となり、商品として流通していたのです。」と書かれています。また、資料集などでは長屋での町の人々の暮らしが具体的に紹介されるようになってきました。これまで「人間らしい生き方ができなかった時代」というイメージの強かった江戸時代の人々の生き方が、等身大の姿として見えはじめてきたのです。

[外国人が見た江戸時代] 『逝きし世の面影』より

幕末から明治初めに来日した外国人に、当時の人々の生き方は新鮮な驚きを与えています。『逝きし世の面影』からいくつか紹介します。

『簡素とゆたかさ』

ボーヴォワル
「家具といえば、彼らはほとんど何も持たない。一隅に小さなかまど、夜具を入れる引き戸付きの戸だな、小さな棚の上には飯や魚を盛る漆塗りの小皿が皆きちんと並べられている。これが小さな家の家財道具で、彼らはこれで充分に、公明正大に暮らしているのだ。」

カッテンディーケ
「非常に高貴な人々の館ですら、大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない」

 外国人たちには、日本人の生活は将軍から庶民まで質素でシンプルだと映っているのです。反対に、明治初期にアメリカで生活した日本女性には、アメリカの家庭に入ると「お納戸に入る」ような感じとして受け取られています。

[労働と身体]

オールコック
「東洋では時間はけっして高価なものではない」

 日本人は当時から外国人にも「勤勉と忍耐」であると映っていますが、同時に「好きなときに働き、好きなときに休む」姿も目撃されています。外国の商人が一番困るのは、「時間通りに契約を実行させることが難しい」とも述べられています。

アリス・べ一コン
「日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、金銭的に儲かろうが関係なく、彼らの手から作り出されるものはみな美しい」

アーノルド
「ヨーロツパ人にとっては、芸術は金に余裕のある裕福な人々の特権にすぎない。ところが日本では、芸術は万人の所有物なのだ。」

 当時の職人たちは、自分の仕事に誇りを持ち、時間や金銭にもしばられず、自由に自分の納得できる「仕事」ができるまで働いていたのです。「3K」というような感覚などなかったことは、危険な「火消し」が「江戸の華」ともてはやされたことからもうかがえます。「屎尿くみ取り」が浮世絵の題材にとりあげられたのも、大切な「仕事」という認識があったからです。鑑定団で使われる“いい仕事してますね”の言葉は職人への最高のほめ言葉だったのです。