田中 浩

 二十日お彼岸の朝、遅い朝食を取ろうと自室からリビングに行こうとした瞬間、気味の悪い地響きと経験した事のない大きな激しい長い揺れを体感しました。すぐにテレビをつけ状況確認をおこなった。福岡西方沖を震源とする震度6弱と臨時ニュースが一斉に報道されていた。激しい揺れが,三連休の安息を突き破った。時間と共に、崩壊した玄海島、壊れたブロック塀、埋立地での液状化現象、天神のビルのガラス落下。「まさか 福岡で・・・・」 市民の不安を逆撫でする余震はいつまでも続いた。建築士会の方二名が福岡県の依頼により応急危険度判定作業をすでにされていた。当時建築士会の田中福岡支部長より、行政より協力要請があればどのようなことができるかと連絡がはいっていた。2〜3日状況把握が出来ず、事務所、自宅の整理をしていた。三月二十四日中央区の地震被害調査の依頼が市建築指導部よりあった。この対応について、福岡建築倶楽部五団体で行うことを各団体で話がなされ、それぞれより35名の参加者(士会11名)で11箇所のエリアの調査をおこなった。内容はあくまで応急危険度判定の必要な建物の調査だった。152件の物件を報告した。ここで調査できなかった分について二十六日に再びおこなった。また同時に中央区役所に市民相談所の開設依頼があった。その要請を受け五団体の打合せ会を行い、今後の対応、勉強会の必要性、相談窓口の体制、運営方法、等決めて行った。幹事会には建築士会福岡支部がなった。その日の夕方、中央区役所で担当者打ち合わせを行い、市民との接しかた、すでに来ている相談内容、ボランティアの範囲を超えない対処方法をきめた。相談期間は二十九日から四月十一日までの十四日間となった。区役所担当者の方からは、「電話が相次ぐので専門的な話をしてほしい。」「現場に行って確認して欲しい。」等の要望があり、五団体会員からは、「毎日五〜六名必要では?」「設備設計団体にも協力してもらう。」「現場には1人では行かない。」「個人名,名刺は渡さず,ボランティアとだけ告げる。」との申しあわせがあった。実際十四日間235名の方々の参加(建築士会72名)があり、相談、現地確認をおこなった。相談件数140件 建物の構造 木造74件、非木造59件,工作物7件  被災状況 赤紙黄紙2件 家の傾き22件 瓦落下18件 壁亀裂151件 床、基礎沈下37件 工作物破損等51件  アドバイス内容 要判定3件 解体2件 早急な対応,調査50件 小規模補修程度74件,問題なし11件 以上のような結果だった。結果は数字どうりだが、各戸ごとには、いろいろな問題に直面した。「だいじょうぶですよ。」「体は疲れてませんか?」とはげまし、不安、悩みを聞く役もした。担当者は、補修の相談、安全の確認、等いろんな現場に対応した。雨に降られてずぶ濡れで返ってきた方もいた。大変なボランティアであった。また別動隊として東区志賀島,西区北崎,今宿、西浦に移動相談所に参加された方もいた。こういった行政協力に対してボランティア終了後区長より感謝状を頂いた

 相談時の対応の仕方として
  1.住民の方々の不安を取り除く。
  2.設計ミス,施工ミスを言わない。
  3.専門外の事には口出ししない、専門家にまかせる。
  4.何を言われても冷静に対応する。
  5.あくまでボランティアの立場で相談をうける。
 以上のことを頭に入れてこの相談ボランティアをおこなった。

 ボランティアに参加された方々には、深く感謝いたします。
 「福岡には,地震はない」という概念が吹き飛ばされた三月二十日だった。あれから一年がすぎた。建築をやっている我々にとって、その後大変な年になろうとは、誰も思ってなかった。

*建築倶楽部
  社団)福岡県建築士会福岡支部。
  社団)福岡県建築士事務所協会福岡支部
  社団)日本建築家協会九州支部
  社団)日本建築構造技術者協会九州支部
  社団)日本建築積算協会